ブラインドサッカーとは
ブラインドサッカーとはどんなスポーツ?
感覚を研ぎ澄ませてプレーするサッカー
視覚に障がいのある選手がおこなうサッカーは、障がいの程度によって「ブラインドサッカー」「ロービジョンフットサル」という2つのカテゴリーに分かれています。いずれもフットサルをもとに考案されたスポーツで、感覚を研ぎ澄ませ、声や音、仲間を信じる気持ちを頼りにプレーする5人制サッカーです。
ブラインドサッカー(ブラインドフットボール/Blind Football)
いわゆる「見えないサッカー」。ゴールキーパー以外が全盲の選手で、アイマスクを装着し、音の出るボールを用いてプレーします。「ブラインドサッカー」「ブラサカ」は、このスポーツの国内での普及を目指し当協会が名付けました。パラリンピックでは「ブラインドフットボール/Blind Football」という競技名です。視覚障がい者スポーツのクラス分けの用語ではB1クラスに該当します。
ロービジョンフットサル
弱視の選手一人ひとりの異なる視力・視野を生かし、お互いを補い合いながらプレーするサッカーです。ブラサカとは異なり、弱視の選手が、アイマスクを装着せず、音の出ないボールを用いてプレーします。視覚障がい者スポーツのクラス分けの用語ではB2/B3クラスと呼ばれます。
視力の3カテゴリー
視覚障がい者スポーツでは、その「見えにくい状態」を3つのカテゴリーに分けています。B1と診断された人がプレーするのがブラインドサッカー、B2かB3と診断された人がプレーするのがロービジョンフットサルです。
B1 | 視力がLogMar2.60 (0.0025)より低い |
---|---|
B2 | 矯正後の診断で、視力0.03まで、ないし、視野5度まで |
B3 | 矯正後の診断で、視力0.1まで、ないし、視野20度まで |
ブラインドサッカーの魅力と可能性
ピッチの中では自由。想像力は無限
「ブラインドサッカーは自由をくれるスポーツだ」−−ブラインドサッカーについて問われると、選手たちは異口同音にそう答えます。これまでの視覚障がい者スポーツでは、視覚障がいの度合いが重いほど(視力が弱いほど)、動く範囲が限定され、味方や相手と接触することがないように安全性が配慮されていました。
しかし、ブラインドサッカーでは、選手は自分の考えで判断し、ピッチを自由に駆け巡ることができます。「見えない」という暗闇の中では、想像力は無限です。選手たちは、仲間の声、ボールの音、相手の気配を感じ取り、視覚以外の全身の感覚を研ぎ澄ませて頭の中にピッチを描き出します。そして、臆することなく全力で駆け出す。ぶつかって、転んでも、立ち上がってボールを追う。ブラサカのピッチには、視覚障がい者が日常では感じることが難しい「動くことの自由」があるのです。
見る人の価値観をひっくり返す
想像してみてください。アイマスクを着けて「シャカシャカ」と鳴るボールを追いかけて、あなたはどれほどの速さで走ることができるでしょうか? ボールを足から離すことなくドリブルができるでしょうか? 果たしてシュートを打つことができるでしょうか?
きっと多くの方は「ある程度」の範囲でしか想像できないでしょう。「アイマスクをつけて走るって"このくらい"の速さでしょう?」「ドリブルできるといっても"こんなもの"だろう?」「シュートも"そこそこの"強さだよね?」
しかし、ひとたびプレーを見れば、それが誤解だったことに気がつくはずです。トップスピードでピッチを走り、キレのあるドリブルで、狙いすましたシュートを放つ。それだけではありません。パスの正確さ、動きながらのトラップ。ディフェンスでの駆け引きや声によるコミュニケーション。そこでは、あなたの想像をはるかに超えるサッカーが展開されています。
私たちは、知らず知らずのうちに「ふつうはこのくらい」というボーダーラインを設けて物事を捉えているのかもしれません。「見えないならこのくらい」「障がい者はここまで」「女性や子供には無理」……。しかし、ブラインドサッカーの選手たちのプレーは、私たちが無意識に設定している固定概念や価値観に対して、「本当にそうなの?」と見直すきっかけを与えてくれます。
ブラインドサッカーが与える社会的な影響
ブラインドサッカーは、例えるなら可能性という名の種火です。この種火に「国際大会に向けての強化」という薪をくべれば、パラリンピックを目指した強化事業になり、どのように選手を育てていくか育成の事業になります。
この種火に「コミュニケーションを密に図りながらチームプレーをする」という薪をくべれば、一般の方々に向けたコミュニケーションのワークショップとなります。
この種火に「強い信頼関係が構築されないとパフォーマンスが高まらない」という薪をくべれば、信頼関係構築からのチームビルディングができます。
この種火に「子どもたちへの教育」という薪をくべれば、障がい者理解の促進に貢献できます。
ブラインドサッカーは、視覚障がい者はもちろん、晴眼者も含め、さまざまな問題や課題に価値を提供する可能性をもつ種火なのです。当協会では、こうしたブラサカの持つ普遍的なコンテンツ力をもとに多様な事業を展開し、目指す社会の実現に向けて邁進しています。
ブラインドサッカーの歩み
日本に根付くまで
1980年代初頭に開発され、ヨーロッパ、南米を中心に広くプレーされてきたブラインドサッカーですが、現在プレーされているIBSA(International Blind Sports Federation:国際視覚障がい者スポーツ協会)の国際ルールが日本に上陸したのは2001年でした。それまでは盲学校で独自ルールを考案し、プレーしてきた歴史がありました。90年代には千葉県立千葉盲学校で「ペガサス」というチームが発足し、テレビにも取り上げられました。
2001年9月、当時アジアで唯一、ブラインドサッカーを導入していた韓国に、「視覚障がい者の文化を育てる会」を中心とした視察団が向かいました。アイマスクをした選手が自由に走り回るプレーを目の当たりにし、日本でもこのサッカーを広めていこうと、国内での普及が始まります。
当時、手元にあったのは数本の試合の映像と、英文のルールなどわずかな資料だけ。しかし、多くのサポーターの協力により、2001年11月11日に日本視覚障がい者サッカー協会(JBFA)の前身となる「音で蹴るもうひとつのワールドカップ実行委員会」の発足式が大阪で行われました。
2002年5月に韓国・ソウルで行われた日本対韓国、同年8〜9月に岐阜・高山、兵庫・神戸で行われた日本、韓国、ベトナムの3カ国によるアジアフレンドリーシップカップを経て、2002年10月、日本視覚障がい者サッカー協会(JBFA)が正式に発足しました。
国内での普及
その後、急速に全国に普及し、2003年3月9日、東京・多摩市で初の全国大会である『第1回日本視覚障がい者サッカー選手権』が実施され、4チームが参加しました。以降、毎年行われる日本選手権をはじめとして、各地で盛んに試合が行われるようになりました。
その後、日本選手権は規模拡大を続け、2013年の第12回大会からは「アクサ ブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権」に改称。2019年の第18回大会には史上最多の22チームが一堂に会し、日本一をかけた闘いが繰り広げられました。
また現在(2020年)は、北日本・東日本・中日本・西日本の4つの地域リーグに分かれ、8〜12月に各地で試合が行われています。各リーグ上位チームは毎春開催される「KPMGカップ ブラインドサッカークラブチーム選手権」に出場することができ、クラブチーム日本一の座を争います。
「ブラサカ」の広がり
2002年に発足した日本視覚障がい者サッカー協会(JBFA)は2010年、「日本ブラインドサッカー協会」に改称しました。視覚障がい者のサッカーとして、そして普遍的な価値を持つコンテンツとして、より多くの人に知っていただきたいという思いから「ブラインドサッカー」「ブラサカ」の呼称を全面に押し出した活動に舵を切りました。
その後、ブラインドサッカーの持つ特性や魅力を様々に事業化。小・中学性に向けた教育プログラム「スポ育」、一般の方に向けた「OFF T!ME」、企業や団体のコミュニケーション研修プログラム「OFF TIME Biz」などを展開しています。
一方で競技性の追求にも引き続き注力しており、ブラサカ日本代表を見据えた視覚障がい児向けの育成事業を推進しているほか、日本代表女子チームを2017年に発足させました。