ブラサカマガジン #008 【JBFA職員紹介】「僕はサッカーに2度救われた」辻一幸選手

#008 【JBFA職員紹介】「僕はサッカーに2度救われた」辻一幸選手

苦しかった学生時代。希望を失った病気の発覚。
救ってくれたのはサッカーだった。

今回は、日本ブラインドサッカー協会(以下、JBFA)で働いている辻 一幸(つじ かずゆき/埼玉T.Wings)選手を紹介します。

幼少期から児童養護施設で育ち、成人になると眼の病気が発覚し視覚障がい者に。壮絶な人生を送ってきた辻選手は、何度も生きていくことに絶望したと言います。そんなときに彼をいつも救ってくれたのは、サッカーでした。

人生を振り返り、辻選手が伝えたいことについてインタビューしました。


 

児童養護施設での生活。サッカーとの出会いとバス運転手という夢。

 辻 一幸 選手(弱視・埼玉T.Wings所属)

 

ーーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

1982年生まれ、静岡県浜松市出身です。両親が若くして私を産んで育児放棄したため、0歳~18歳は児童養護施設で育ちました。その頃は自分に視覚障がいがあるなんて気づいていませんでした。

ーー児童養護施設での生活はどのようなものでしたか?

漢字一文字で表すならば「耐」ですね。当時の施設では、先輩からの暴力がすごかったです。毎日のように理不尽に殴られ、声をあげて泣くものであれば湯船に顔を入れられたり、布団に押し当てられたり。とても息苦しい生活でした。職員も怖くて、相談することもできませんでした。そんな施設がとても嫌で、初めて施設から脱走したのは8歳です。それ以降もよく脱走していましたが、結局帰る場所は施設しかありませんでした。

そんな日々を繰り返しているうちに、だんだん”生きる意味”がわからなくなり、一歩勇気を振り絞ってここから飛び降りたら楽になれるのではないか、と何度考えたかわかりません。

ーーそんな苦しい日々をどうやって乗り越えたのですか?

サッカーとの出会いが本当に大きかったです。

はじまりは、小学4年生のときに強制的に参加させられた、静岡県児童養護施設が集まって開催されるサッカー大会でした。最初は参加するのが嫌でしたが、良いプレーをすると褒めてもらえることが純粋にうれしかったです。小学6年生になると少年団にも入れてもらって、本格的にサッカー少年になっていきました。中学時代はまったく試合に出られず悔しい思いをしましたが、高校時代はその悔しさと、同級生のなかで誰よりも上手くなりたいという気持ちで、3年間練習をしました。練習や試合が終わってからも、一人で居残り練習を毎日2時間はしていましたね。高校2年生のときには地域の選抜メンバーにも選出され、西部選抜選考会に出場しました。サッカーを通して、仲間と協力する楽しさ・望んだ結果を得られない悔しさ・目標に向かって努力することの大切さを学ぶことができたと思っています。

ーー児童養護施設を出てからのことについて教えてください。

25歳のときに膝の大怪我をしてサッカーを辞めました。それからは小学生の頃からの夢だった、バスの運転手を目指すようになりました。

ーーどうしてバスの運転手になることが夢だったのですか?

児童養護施設ではほとんどが集団行動なので、施設外に行く場合はバスを利用することが多く、身近な存在でした。そのなかで「こんな大きいものを運転できるのってすごいな~」と思いました。運転手さんは、狭い道でもスピードを落とすことなく走ったり、車酔いをする私に優しく声を掛けてくれたり。

いつか自分も、いろいろな人の思い出が生まれる場所に、運転手として関わることができたらいいなと思うようになりました。

ーー30歳で第二種大型自動車免許を取得、31歳でバス運転手となっていますね。そのときの気持ちを教えてください。

「生きていて良かった」と心の底から思いました。児童養護施設を出てからも、生きていくことが本当に苦しくて、もう人生やめてしまおうと思うときもたくさんありました。そんなときに自分を支えてくれたのが”バス運転手”という夢でした。

そして自分の人生で初めて「児童養護施設で育って良かった」と思えた瞬間でもありました。児童養護施設で育っていなければバス運転手になりたいと思わなかったはずですし、こんなにも努力して自分の夢を叶えるということもできなかったと思います。

ーーそれから1年後に目の病気が発覚したと聞いています。

バス運転手はたくさんの人を乗せる仕事なので、自分の健康管理をしなくてはと思い、人間ドッグを受けました。すると「網膜色素変性症」という病気が発覚。「もう視野がほとんどありません。いつか目が見えなくなる可能性があります」と言われました。頭が真っ白になりました。辛いときも苦しいときも”バス運転手”という夢があったからこそ生きてくることができた。その夢をやっと叶えた次の瞬間に、病気の宣告。網膜色素変性症は、遺伝性の病気です。自分の不注意・食生活からくるものならまだしも遺伝性の病気・・・・・・。どうにもならない現実でした。

「俺はなんで生きているのだろうか」「幼少期にそのまま死んでいたらどんなに楽だったろうか」という思いしか浮かんできませんでした。

ーー辛かったですね・・・・・・。

どんなに頑張って生きても、自分は幸せになることが許されないのだと感じました。自分自身が生きていることが間違いなのでは、生きていてはいけないのでは、と自分を責める毎日でした。

児童養護施設で育ったことも、目の病気になったことも、自分の選択ではありません。それなのに、諦めないといけないことがあまりにも多く、生きる希望が持てませんでした。

 

視覚障がい者のサッカーが希望になった。


ーーバスの運転手を辞め、失意の中にいた辻さんにとって、ブラサカとの出会いはどんなふうに訪れたのですか?

たまたま、ブラインドサッカーのパラリンピックアジア予選に関するニュースをテレビで見ました。そのときに初めて、視覚障がい者でもサッカーができるのだということを知り、インターネットでブラインドサッカーについて調べました。
「病気になったことを、前向きに捉えるためにはどうしたらいいのかな」
「もしかしたらパラリンピックに出たら変わるのか?」
そんなことを考えていたと思います。

JBFAのホームページを見ていると、B2・B3クラスについての記載があり、そこでロービジョンフットサルの存在を知りました。詳しいことはよくわかっていませんでしたが、弱視者向けにセレクションが開かれていたため、とりあえず応募してみました。いま思えば、その行動が転機になったのかもしれません。

セレクションでは、久しぶりにフットサルをして、体全体が筋肉痛になったことを覚えています。病気が発覚してから、塞ぎ込んでいましたが、発散できました。
そして、同じ視覚障がい者がこんなにも夢中になって何かに打ち込んでいるのだということを知ることができました。視覚に障がいがあっても、明るく生きている人がこんなにもいる。

あの日、勇気を出して参加して本当によかったです。

ーーその後、見事ロービジョンフットサル日本代表になっていますね。

ロービョンフットサル日本代表になるために、体づくりから始めました。朝・夕それぞれ1時間の走り込みを毎日欠かさず、1年間で20キロも体重が落ちましたね。ライバルに勝つため、チームメイトに認められるために、ロービジョンフットサルに本気で取り組みました。プレーをしているときは、病気のことを忘れられましたし、仲間と切磋琢磨できることが楽しかったです。

そうしてロービョンフットサル日本代表になることができました。視覚障がいになっても日の丸を背負うことができるなんて夢にも思っていませんでしたが、日本を代表する誇りを感じました。

児童養護施設時代の自分を救ってくれたのもサッカーでしたし、病気を宣告されてどん底にいた自分を救ってくれたのもサッカーでした。サッカーに夢中になっていたときは、子どもの頃からのコンプレックスだった家庭環境について気にしなくて済んだ。いまロービジョンフットサルをしていると、眼の病気だからといって落ち込むことも少なくなった。いつだってサッカーは、私が私らしく楽しんでいられる、かけがえのない存在なんです。

ーーそれからロービジョンフットサル以外のことにも積極的に挑戦されていましたね。

視覚障がい者となってからも、サッカーがきっかけで、いろいろな人と出会い、新しい目標を持つことができて、生活に張り合いが出てきました。

まずは、手に職をつけるために国立リハビリ障がい者センター理療科に入学し、あん摩・鍼灸の勉強をしました。子どもの頃から勉強嫌いでしたが、身体のことを勉強するのは意外と楽しかったです。

それから、ブラインドサッカーにも挑戦したいと思い、埼玉T.Wingsというチームに入団しました。アイマスクを着けてプレーするブラサカは、自分の視力や視野を生かすロービジョンフットサルとはまたちがう難しさがあり、試合中に方向感覚を失って何度も迷子になりました(笑)それでも2019年には「第18回 アクサブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権」の決勝のピッチに立ち、大勢のお客さんの前でサッカーができてうれしかったです。ブラインドサッカーのチームメイトは、同じ目標に向かう仲間でもあり、私生活でも時間をともにする友達でもあります。視覚障がい者も健常者もいますが、お互いに特に気を遣うようなこともなく、良い関係性ですね。こんな関係性が築かれる社会になってほしいなと思います。

ーーそして2019年にJBFAへ就職しています。

私がJBFAで働いているのは「一人でも多くの障がい当事者にスポーツの素晴らしさを届けるため」です。スポーツには本当に大きな力があると、これまでの人生で身をもって感じています。

中途で病気が発覚して、いきなり外に出ることは難しいことだということは私も経験しています。それでも、スポーツをきっかけとして、一人でも多くの人が外に出て、友人と集まって前向きになれる居場所を手に入れてもらえたら嬉しいです。

その先には、視覚障がいにならなければ経験することができなかった喜びがあるはずです。

ーー最後にJBFAでの仕事上の目標を教えてください。

一つ目は、視覚障がい者へのブラインドサッカーの普及です。性別・年代問わず、誰もが楽しくプレーできるような環境整備や情報発信に貢献したいです。並行して「おたすけ電話相談窓口」を通じて、さまざまな視覚障がい者の悩みに寄り添いたいと思っています。

二つ目は、健常者の皆さんにも”混ざり合う”スポーツとしてのブラサカを知ってもらいたいと思っています。スポ育・研修・体験会・大会等を通じて、ブラインドサッカーを広め、いろいろな人にとってブラサカを身近な存在にしていけたらと。そうした地道な活動を積み重ねて、誰もが生きやすい社会の実現に寄与していきたいと思っています。


編集後記

最後までお読みいただき、ありがとうございます。ブラサカマガジン担当の貴戸です。

今回特集した、辻選手は研修・体験会イベントなどで講演をすることがあります。辻選手の講演は、パラリンピックに出場するようなアスリートたちとの講演とは少し印象が異なります。障がいを乗り越えてキラキラと輝くメッセージではなく、抱えている生きづらさや悩みを吐露するような場面も多くあります。アスリートである以前に一人の視覚障がい者として、障がい当事者の光の部分だけでなく、厳しい現実にも真正面から向き合い、それでも障がいとともに生きることを受け入れられるようにもがく姿が垣間見られます。

オリンピックに出られるようなアスリートが健常者のほんの一握りであるのと同じく、パラリンピックに出られるようなパラアスリートも障がい者のほんの一握りです。「混ざり合う社会」を実現するために我々が考えるべきことは、発信力のあるトップのパラアスリートを強化育成する一方で、一人でも多くの障がい者の人生を豊かにするために、彼ら彼女らの生活のなかにスポーツを織り込むにはどうすればよいかということ。その両輪を同時に走らせることで、目指す社会に近づいていけるのではないかと思うんです。

辻選手は「一人でも多くの障がい当事者にスポーツの素晴らしさを届けるため」に日々仕事をしています。彼は「JBFAでの仕事を通じていろいろな人にブラインドサッカーとの出会いを提供できれば、自分も視覚障がいだからこそこの人生を送れたと、胸を張って生きられるようになるのかな」と言っていました。OFF T!MEなどにご参加いただければ、辻選手から直接話を聞くことができます。ぜひ辻選手の活躍を応援してください!


 

 

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